バンコク在住のアラフィフ・HiddenLilyです。
なぜわたしだけ、こんなの辛い思いをしなければならないの?
そんなことを思ったことはありませんか?
私はあります。
人生で2回、絶望を味わいました。
2004年にうつ病になった時と、2011年に乳がんで乳房全摘を宣告された時です。
自分の人生に希望が持てず、もう、自分の人生は終わりなんだと、毎日夜になると泣いていました。
今日はちょうど私が8年前に乳がんの手術を受けた日。
人間って、強いです。今はすっかり元気!(^0^)/
そんなこともあったよね~と思えるようになっています(笑)
そんな私が、バンコクで改めて、絶望を味わうほどの「辛い経験」って無駄じゃないんだな、と感じたことをシェアさせてもらいます。
☟私のうつ・乳がん治療当時を綴ったブログはこちら
バンコクの病院でのボランティア
バンコクでも自分に何かできることを、と、こちらの病院で月に1~2回ほど、乳がん患者向けのボランティアを始めました。
主には乳がん患者さんが疑問に思っていることや不安を聞いてあげたり、乳がんの手術が終わった患者の病室を訪ね、同じ病気の経験者として励ますという活動です。
タイの乳がん事情
日本では、年間約76,000人が新たに乳がんと診断され、
年に約14,000人が亡くなっています。
一方、タイでは年間20,000人が新たに乳がんと診断され、
年に約10,000人が亡くなっているという報告があります。
タイの人口は日本の約1/2です。
それを考えると患者数は多く、また死亡率は日本の2割弱よりかなり高い。
日本では早期発見の啓蒙活動も広く認知され、死亡率は年々減少傾向です。
早期発見で適切に治療をすれば、恐れる必要のない病気となってきています。
タイでも乳がん患者数は増加傾向で、それに伴い、早期発見の啓蒙活動も活発になってきてはいます。でも、まだまだ自分から検査に行く意識はかなり低く、これも全体の死亡率をあげている一因のようです。
また、手術後に始まる抗がん剤治療をはじめとした一連の治療にも大きな不安を抱えています。 タイではまだ乳がんについての十分な情報を得られる場所が日本ほどありません。
病院によっても、例えば、抗がん剤の治療中にはどのようなことに注意したらいいか、
どのような症状になるのか等も、事前に説明がほとんどないこともあるようです。
私達ボランティアの活動は、乳がん経験者である私達が元気な姿と笑顔をみせ、不安に思っている患者さんを力づけること、そして不安になっている彼女達の話を聞いてあげること、彼女達に疑問に答えてあげることでした。
私達も同じ患者だと言うと、患者の皆さんは、ホッとした表情と笑顔を見せてくれます。
私自身もそうでしたが、同じ辛さを経験したであろう人の笑顔は本当に救いになるのです。
ああ、この人は笑っている。私も大丈夫かもしれない…と。
でも、この活動で救われているのは、患者さんだけではありません。
実を言うと、私自身も救われていたのです。
タイでの不安な毎日
日本を離れてから約4年、バンコクに来て2年。年代や状況の違いから、現地の日本人駐妻さん達との交流はほぼなく、かと言ってローカルの友達もできなかった私。
夫は仕事に忙しく、いつも疲れていて、私に気を気遣う暇も余裕もありません。
私は今の夫と乳がん手術から1年後、40代で出会い、結婚。子供はいません。
年齢だけで、再就職は無理とエージェントには紹介を断られました。
家で家事をして、誰とも話もせず、したいことがあるわけでもない毎日。
それまでの私の生活や自分の価値は、仕事あってのものであったことを思い知らされました。
自分の価値ってなんだったんだろう?
これからもずっと、誰にも必要とされないままの人生なのだろうか?
と、なんともやるせなく、不安でいっぱいな気持ちになりました。
50代を目の前にして、会社を辞めてまで夫についてきた自分の選択を、正直、何度も悔やみました。
ボランティアで救われる
それが、バンコクでもこうやってボランティア活動に関わるようになり、自分が元気にしていることで人の役に立てることもあると知ったのです。
何もしなくても、自分は毎日幸せで、笑っていていいんだ。
不思議な気持ちでした。
それと同時に、患者さんに関わることで、それまで忘れていた自分自身が乳がんを宣告された当時についても、思い出せました。
必死で病気と自分のそれまでの人生に向き合い、どん底に見えたところから立ち直ったこと、あんなに辛かった気持ちを切り替えて、乗り越えられたこと。
あの当時を思い出せたことで、それまでの生活での心にあったモヤモヤは無くなり、前向きに毎日を過ごせるようになりました。
乳がんで体験したあの辛い思いは、今の私を勇気づけて、励ましてくれます。
どんな辛いことでも、人生って無駄はないんだな、とつくづく感じます。